私は
玄米を主食にしてから
驚くほど
オカズが
少なくて済む
ようになりました。
わたし ひとり…
かと 思いきや
本に書いている
方がいらっしゃいました。
著作 三木成夫(みき・しげお)
「胎児の世界」人類の生命記憶
昭和58年5月25日発行
【P29より抜粋】
生まれて初めて正規の食事で玄米を口にしたのだが、その第一印象は「ああ、こういう味もあったわけか」と、要するに「うまくも、まずくもない」、なんだか拍子抜けの気持ちだったのをはっきり覚えている。
ところが、この主食の転換を契機として、
わが家の【食の形態】が一変するのである。
まず、
牛肉の味がみじめに半減する。
豚肉を食べるとおできができる。
鶏肉はどうでもいい。
魚はまあまあなんとか、といった感じ。
これに対して、
納豆・豆腐・味噌汁といった大豆の味がにわかに見直されてくる。
そして、
ただのゴマが命の綱に見え、
店頭のわらびやワカメには後光が射してくる。
要するに、
副食の趣向が変わってしまったのである。
だから、
脂身に縁取られた牛肉片のグラム数に一喜一憂する姿は自然になくなる。
かわりに、
わらびのあく抜きの灰を求めて物置の床に這いつくばる姿が出てくる。
まったく想像もしなかったことだが、
こうしていつしか食卓の周辺も都会風から田舎風に、そのまなざしも肉食獣から草食獣のそれに変わってしまう。